地域のお宝発掘

 区では、平成17年度からこれまで、身近に埋もれた「地域のお宝」に関する情報をお寄せいただき、区ホームページやイベント等で紹介してまいりました。
 また、ふれあいフェスタなどのイベントでは、「新宿再発見」と題し、区内のお気に入りの場所・地域・ものなどを「新宿のキラリ」として投票していただきました。
 「地域のお宝発掘」については平成22年度をもって事業を終了し、平成23年度からは、新たに「地域文化財」制度を創設し、文化財保護施策の中で地域の文化歴史資源の掘り起こし・保存・継承に取り組んでいきます。

「新宿のお宝」紹介

以下では、これまでにお寄せいただいた「地域のお宝」をご紹介いたします。

写真・賞状

鶴巻幼稚園の写真
矢来町在住の方より

昭和13年~17年頃の幼稚園の写真や当時の賞状をご提供いただきました。左の写真は鶴巻幼稚園(今もあります)での桃太郎のお芝居を写したものだそうです(昭和13年頃)。

その他の「写真・賞状」

木工品

木工品の写真
富沢武夫様より

手作りの木工品です。合掌造りの小屋、水車小屋、長火鉢など細部に至るまで丁寧に作られています。


その他の写真「木工品」

豆本コレクション

豆本コレクションの写真
川崎眞五郎様より

豆本は、掌に収まるサイズまでのミニチュア本を指します。中身もきちんと印刷されており、現在世界最小のものは僅か1㎜四方の本もあるそうです。川崎さんは、30年程前から豆本の収集を始め、現在約2万点を所蔵しているそうです。中には17世紀初頭に印刷されたものもあります。

その他の写真「豆本コレクション」

腰折地蔵尊

腰折地蔵尊の写真
鈴木美晴様より

新宿区立藤兵衛公園の程近く、M’S88 ビルの一角に立つ地蔵尊で、元は高田馬場駅近くにあったそうです。地蔵尊をお守りしている鈴木家に伝わる伝承によると、元禄7年(1694)2月11日、有名な中山安兵衛(後の堀部安兵衛)の高田馬場の決闘の際に、一人の武士がこの地蔵の後ろに隠れ、追手が刀で斬りつけたため地蔵の腰に刀傷がついたことから「腰折地蔵」と名づけられたということです。戦前には縁日が立ったり、地蔵堂で百万遍が行われたりしたそうです。戦災で壊れてしまったため現在の地蔵尊は戦後の再興です。
※この「お宝」は、平成24年(2012年)12月12日に新宿区高田馬場3-25-6 に移設されました。

源兵衛子育地蔵尊と石造物群

地蔵尊の写真
神谷昌宏様より

西早稲田2丁目の早稲田通り沿いにある地蔵尊で、西早稲田商店会が管理しています。江戸時代からある地蔵尊で、源兵衛の名は江戸から昭和初期までのこのあたりの地名です。境内には地蔵尊のほか、寛文13年(1673)造立の庚申塔、明治時代の馬頭観音、大正時代の彰忠碑など、たくさんの石造品がのこされています。彰忠碑は、日清・日露戦争に戸塚村から出征した村民の名を刻んだもので、伊予(愛媛県)産の青石を使った2mあまりの記念碑です。地蔵尊前のマンホールは戦前に造られた防火用水だということです。
その他の写真「源兵衛子育地蔵尊と石造物群」

新宿コマ劇場資料

新宿コマ劇場の写真
株式会社コマ・スタジアムより

「演歌の殿堂」と呼ばれ、昭和31 年(1956)の開館以来、歌謡ショーやミュージカルの上演で新宿文化の一翼を担ってきた新宿コマ劇場は、平成20年12月31日をもって52年間の歴史に幕を下ろしました。半円形の舞台に同心円状の6つのセリを持つ回り舞台があり、セリの回転と上下運動により多様な舞台効果を生み出しました。コマ劇場の名は、この独楽(コマ)にも似た回り舞台からくるものです。このほど、コマ劇場や併設されていたシアターアプル、コマ東宝などの資料を地域のお宝として紹介します。
その他の写真「新宿コマ劇場資料」

竹内栖鳳(せいほう)作「簷雀(のきすずめ)」

竹内栖鳳(せいほう)作「簷雀(のきすずめ)」画像
井上様より

 雀が一羽、小枝をくわえて飛び立つ姿を描いた掛軸で、明治~昭和の日本画家・竹内栖鳳(1864~1942)の作品です。構図は、本紙最上部に家の軒先を配し、その直下に雀が描かれ、雀の下、全体の七割ほどの紙面は何も描かず、軒の高さを見事に表現しています。井上さんの実家に伝えられていたものだそうです。

その他の写真「竹内栖鳳作 簷雀」

余丁町国民学校戦中戦後の写真

余丁町国民学校戦中戦後の写真画像
峠尚孝様より
 
 戦中戦後の余丁町国民学校(現 余丁町小学校)の写真をご提供いただきました。左の写真は当時余丁町国民学校の生徒だった峠さんが集団疎開していた栃木県上都賀郡南押原村北赤塚(現在の栃木県鹿沼市北赤塚町)の天台宗廣済寺山門の前で昭和19年頃に撮影されたものだそうです。

                                                                      その他の写真「余丁町国民学校戦中戦後」

久保前橋新設記念碑

久保前橋新設記念碑の写真
佐久間国三郎様より

神田川に架かる久保前橋を高田馬場三丁目側に渡ったところにある石碑で、大正15年(1926)6月に、当時の落合町と戸塚町の間を流れる神田川に架橋した久保前橋の完成を記念して建てられました。
表面には「大正拾五年六月竣功 久保前橋新設記念碑」の文字が、裏面には落合町、戸塚町それそれの寄付者、発起人、石工の名前が刻まれています。
その他の写真「久保前橋新設記念碑」

本ページに関するお問い合わせ

新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4069 FAX:03(3209)1500

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