新宿区立漱石山房記念館 名誉館長ご挨拶
最終更新日:2017年9月24日
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記念館の開館に寄せて
漱石山房記念館 名誉館長 半藤 末利子
漱石山房と漱石の遺品をそっくりそのまま遺すことは、漱石の直弟子にして女婿となった私の父、松岡譲の悲願であった。この宝を一夏目家の所有とせず、公のものと帰すことに父は奔走した。が、大正時代には父の考えは新し過ぎて受け入れられないまま、太平洋戦争中に、山房は米軍の空爆で灰燼と化してしまった。諦めるには余りに惜しいと私は痛感させられた。
だからと言って新宿区が新しく山房を建てたいという意向を表明した時、私は大賛成したわけではない。この財政逼迫の時代に建てるべきではないと、むしろ否定的であった。しかし区の決意はかたく、漱石の終焉の地に、文献や昔の写真などを頼りに手探りで、漱石研究家や建築家の先生方の力を借りて、真新しい漱石山房記念館を建ち上げたのである。内容も多くは寄贈によっているが、区も奮発してかなりの品を買い求めたので、貴重な資料が集まっているようである。
どうぞ皆さん、新宿区の一途な情熱を評価して、是非当館に足をお運びください。そして将来、単なる箱物として終わらせることなく、益々リピーターと漱石関係の遺品や資料が増えることを祈るばかりです。
漱石山房と漱石の遺品をそっくりそのまま遺すことは、漱石の直弟子にして女婿となった私の父、松岡譲の悲願であった。この宝を一夏目家の所有とせず、公のものと帰すことに父は奔走した。が、大正時代には父の考えは新し過ぎて受け入れられないまま、太平洋戦争中に、山房は米軍の空爆で灰燼と化してしまった。諦めるには余りに惜しいと私は痛感させられた。
だからと言って新宿区が新しく山房を建てたいという意向を表明した時、私は大賛成したわけではない。この財政逼迫の時代に建てるべきではないと、むしろ否定的であった。しかし区の決意はかたく、漱石の終焉の地に、文献や昔の写真などを頼りに手探りで、漱石研究家や建築家の先生方の力を借りて、真新しい漱石山房記念館を建ち上げたのである。内容も多くは寄贈によっているが、区も奮発してかなりの品を買い求めたので、貴重な資料が集まっているようである。
どうぞ皆さん、新宿区の一途な情熱を評価して、是非当館に足をお運びください。そして将来、単なる箱物として終わらせることなく、益々リピーターと漱石関係の遺品や資料が増えることを祈るばかりです。
本ページに関するお問い合わせ
新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500
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