第2回 焼継ぎ

最終更新日:2014年10月1日

 焼継(焼接)は、割れた陶磁器類を補修する方法の一つで、江戸時代後期に広まりました。
陶器や磁器の破片を接着して再び使用した様子を、遺物から知ることができます。
 
第2回 焼継ぎ画像1焼継で修復された鍋島焼中皿(製作1680~1720年)払方町遺跡出土

焼継の方法

 まず、割れた茶碗や皿の破片の割れ口に「白玉粉」と呼ばれる鉛ガラスの粉末を塗布し、元の形状に固定します。
 次に、加熱することで、陶磁器の割れ口に塗った鉛ガラスを熔かし、破片同士を接着します。
 顕微鏡写真から、充填剤である擦り込み土と、接着剤の役割をはたす鉛ガラスを確認することができます。
焼継の薄片顕微鏡写真

焼継師

 文政11年(1814)に記された『塵塚談(ちりづかだん)』によれば、「寛政2年(1790)頃までは、江戸では焼継が知られていなかったが、京都にはその頃から焼継があった。近頃は、江戸で焼継商売をする者が非常に多くなり、このため瀬戸物屋の商いが減ったと言うほどである」と記されています。
焼継師画像焼継『守貞漫稿』

新宿区内での出土例

 区内では、19世紀以降の江戸時代の遺跡から、焼継された陶磁器片が見つかります。中でも、旗本屋敷の跡だった払方町遺跡からは、400点近くの焼継された碗、皿、土瓶、散蓮華などが発見されています。割れた陶磁器類を補修して、再び使っていたことがわかります。
新宿区内での出土例画像焼継が施された瀬戸産磁器小鉢。割れ口の隙間を補うために擦り込み土(充填剤)が塗られている(矢印箇所)。

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