新宿区の指定・登録文化財と地域文化財

最終更新日:2017年4月20日

シンボルマーク文化財愛護シンボルマーク
 新宿区は、古くから歴史的環境に恵まれ、地域の歴史や文化を伝える多くの文化財が伝えられています。
 新宿区では、これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和58年に「文化財保護条例」を制定し、区内の文化財で特に貴重なもの、保存する必要のあるものを区指定文化財・区登録文化財として保護するとともに、ガイドブックや地図での紹介、説明板の設置、一般公開の実施など、周知や活用をはかっています。
 また、平成23年4月からは新たに「地域文化財」制度を創設し、明治時代から高度経済成長期に至る近現代の文化財を中心に、保護と活用に努めています。

区指定・登録文化財と地域文化財の紹介

平成29年4月20日現在、区指定文化財は122件、区登録文化財は51件、地域文化財は41件となっています。

平成28年度新たに指定・登録された文化財

平成29年3月29日付けで、指定文化財が2件、登録文化財が2件、3月15日付けで地域文化財が2件、決定しました。新宿ゆかりの人物に関する史跡や、今に残る民俗行事など、本年度も様々な分野の文化財が区の文化財となりました。

指定史跡 「内村鑑三終焉の地(今井館聖書講堂跡)」

「内村鑑三肖像」内村鑑三肖像
 新宿区北新宿三丁目10番地1号

 キリスト教思想家・聖書学者である内村鑑三(1861~1930)は、角筈(現在の新宿区西新宿)と、柏木(当史跡)に、合わせて31年間、新宿区内に居住しました。
 明治10年(1877)に札幌農学校へ入学し、在学中にキリスト教へ入信しました。鑑三は、社会問題に関心が深く、日露戦争開戦前夜には、幸徳秋水らと非戦論を唱え、米国で排日法案が可決されようとすると、徳富蘇峰らと反対運動を展開しました。異なる主義・思想の人物とも目的のためには共働・連携をした鑑三の交友関係は、教育者の新渡戸稲造、植物学者の宮部金吾、ジャーナリストの徳富蘇峰をはじめ、社会主義者の幸徳秋水、同志社英学校を開校した新島襄、白樺派の作家有島武郎など多岐にわたります。
 明治40年(1907)11月に角筈から柏木へ越してきた鑑三は、翌年に住居と隣接して今井館聖書講堂を建設しました。これは、鑑三に感化された事業家・今井樟太郎(1869~1906)の一周忌に、妻の今井ノブの寄進によって建設された講堂で、名称は寄進者に由来します。今井館聖書講堂には多くの有望な若者が集まり、一種のサロンを形成しました。
 鑑三が新宿区内に居住した後半生から晩年にかけての31年間は、聖書研究を中心とする著述・講演などの活動が世間から評価され、経済的にも安定した生活を送った時期にあたります。教会よりも十字架を重んじるべきと唱えた「無教会主義」や、キリスト再臨への確信を説いた「再臨運動」といった鑑三の代表的な思想は、新宿区内での活動において提唱されました。
 鑑三没後の昭和9年(1934)に、柏木に六間道路新設計画が立ったため、翌10年(1935)に内村邸と今井館聖書講堂は立ち退きとなり、今井館聖書講堂は現在の目黒区中根に移築されました。

指定史跡 鈴木三重吉終焉の地(「赤い鳥」社跡)

「鈴木三重吉肖像」鈴木三重吉肖像
 新宿区歌舞伎町二丁目23番12号 チェックメイトビル

 小説家・児童文学作家の鈴木三重吉(1882~1936)は、明治15年(1892)に広島市猿楽町に生まれ、旧制中学校在学中に、亡き母への思いを綴った「亡母を慕ふ」が『少年倶楽部』に掲載されるなど、若年より創作活動を行いました。明治37年(1905)には東京帝国大学英文科へ入学し、夏目漱石の授業を受けて、生涯の師と慕いました。漱石の推薦を得て「千鳥」が『ホトトギス』に掲載されてからは、漱石門下の一員として、漱石宅での「木曜会」に参加しました。
 大正5年(1916)年に長女すずが生まれたことを契機に、児童文学作品も手掛けるようになりました。従来の教訓的なお伽噺や学校唱歌に不満を持っていた三重吉は、大正7年(1918)に『赤い鳥』を創刊し、「芸術として真価のある綺麗な童話と童謡を創作する、最初の運動」と位置付けました。『赤い鳥』には、芥川龍之介・北原白秋・島崎藤村らの作品が寄せられ、坪田譲治、新美南吉ら新たな児童文学作家を世に送り出しました。表紙や挿絵は清水良雄が担当しました。
 18年間にわたり計196冊を刊行し、学校や地方の青年会などで輪読された『赤い鳥』は、多くの青少年に影響を与えました。また児童尊重の教育運動の高まりのなかで、教育界に与えた影響も少なくありません。
 鈴木三重吉の新宿時代は、三重吉が編集・出版を行った児童文芸雑誌『赤い鳥』が一年間の休刊から復刊し、三重吉の逝去に伴い終刊する、三重吉晩年の7年間にあたります。近代児童文学・童謡・謡曲の発祥・発展の地として大切な史跡です。

登録有形文化財(歴史資料) 市谷亀岡八幡宮の几号水準点(水鉢台座)

「水鉢台座側面に刻まれた几号水準点」水鉢台座側面に刻まれた几号水準点
 新宿区市谷八幡町15番地

 几号水準点(几号高低標)とは、明治初期に用いられたイギリス式の水準点で、明治初期の東京を中心に「不」の字に似た記号が刻まれた几号水準点が各地に設置されました。
 市谷亀岡八幡宮の几号水準点は、参道右脇に設置されている水鉢の台座に刻印されており、刻印された年代は、内務省地理寮による関八州大三角測量が開始された明治8年(1875)頃と思われます。
 現在台座の上には、昭和26年(1951)に八幡講によって奉納された水鉢が置かれていますが、材質や大きさから推測するに、もともとは社務所前に置かれている、越前屋吉兵衛によって奉納された宝暦7年(1757)の水鉢とセットであったと思われます。
 『江戸名所図会』(天保5・7年間刊、1834・1836)には、現在と同じ位置に水屋が描かれており、また「東京実測図」(明治20年、1887)に記された標高(水準点94.8尺、約28.7m)が現在とほぼ変わらないことから、水準点の位置が、設置当初から移動していないことが分かります。
 水準点は全国に340ヶ所設置され、現存するものは154ヶ所、新宿区内では3ヶ所が現存しています。設置当初と位置が変わっているものも多く、移動のない市谷亀岡八幡宮の几号水準点は希少です。

有形民俗文化財 「旧源兵衛村の庚申塔」

「旧源兵衛村の庚申塔」旧源兵衛村の庚申塔
 西早稲田三丁目24番地 源兵衛共同墓地
 旧源兵衛村の庚申塔は、延宝3年(1675)11月12日に、8名の施主によって造立されました。石塔の総高は104.5㎝で、唐破風に装飾した笠を戴く丸柱型に、正面には蓮華座の装飾、台座には水鉢・花立てを彫り込んでいます。塔身部には、正面上部に日輪・月輪、正面には大日如来を示す梵字「ヴァン」、中央部には銘文とその左右に施主8名の名前、下部には三猿が刻まれています。塔身部が丸柱型の庚申塔は、都内では類例が少なく貴重な事例で、保存状態も良好です。
 旧源兵衛村の庚申塔は、区内で確認されている42基の庚申塔の中では比較的古い時代の造立です。江戸時代以来、源兵衛村の村持ち墓地内に置かれていました。源兵衛村は江戸初期に豊臣の遺臣とされる小泉源兵衛が開墾したと伝えられる村です。8名の施主は源兵衛村に縁ある人々であると思われ、この地域の江戸時代の歴史が分かる貴重な文化財です。

 ※私有地内のため非公開

平成28年度新たに認定された文化財

 平成29年3月15日付で、2件の地域文化財を認定しました。

地域文化財 「有隣園跡」(都市・産業、歴史分野)

「有隣園跡」有隣園跡
 新宿区西新宿二丁目4番1号

 有隣園は、明治44年(1911)に設立された総合福祉施設です。設立者の大森安仁子(アニー・バローズ・シェプリー、1856~1941、米ミネソタ州生まれ)は、夫の大森兵蔵(1876~1913、現在の岡山県岡山市生まれ)と共に、日本人の体位向上のために体育の啓蒙と指導を行いました。またセツルメント(地域社会奉仕)による社会事業を行うため、有隣園を設けました。
 有隣園は、授産所・幼稚園・図書館などを兼ねた、当時としては珍しい施設でした。当初は子どもを対象とした遊び場・クラブが中心でしたが、事業の拡大に伴い、勤労青少年のための徒弟夜学校、診療所などを開設しました。関東大震災の時には、職業紹介所や託児所、簡易宿泊所の設置、救助活動も行いました。
 昭和20年(1945)5月の空襲で全焼し、再建はされませんでしたが、跡地には一般財団法人生涯学習開発財団によって「有隣園記念の碑」が設置されています。

地域文化財 「太宗寺の閻魔大王開帳」(歴史、生活分野)

「開帳中の閻魔堂」開帳中の閻魔堂
 新宿二丁目9番2号

 太宗寺では、毎年1月と7月の15日・16日に閻魔大王等の開帳を行います。この日は、江戸時代には「藪入り」と呼ばれる奉公人の休日でした。また、藪入りの日は俗に「地獄の釜の蓋が開く日」といわれ、閻魔大王像や地獄変相十王図のある寺院ではこれを開帳し、束の間の休日を楽しむ人々の参拝で賑わいました。
 太宗寺では、1月には閻魔堂に安置される閻魔大王像と奪衣婆像が、7月にはこれに加え本堂での曼荼羅・地獄変相十王図等の開帳、不動堂に安置される三日月不動像の開帳が行われます。戦前までは境内・参道には見世物小屋が立ち、僧侶による地獄絵解きも行われていました。
 現在は、7月の開帳の時に、第二次世界大戦後に地元の町会等により始められた盆踊りも行われ、境内に露店も並びます。江戸時代以来の年中行事を伝える行事として、歴史的、民俗的な価値の高い行事です。

本ページに関するお問い合わせ

新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500

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