未発表書簡を含む夏目漱石の資料5点が新宿区に寄託される
最終更新日:2014年12月1日
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11月14日、豊島区在住の夏目漱石ファンの女性から、漱石が正岡子規に宛てたはがき4通と、『漱石全集』に収録されていない未発表の書簡1通が新宿区(区長:吉住健一)に寄託された。
4通のはがきは、明治24年(1891年)7月~明治29年(1896年)1月に出され、漱石が帝国大学在学中、子規から送られた漢詩に同じく漢詩で応えたものなど、若き日の漱石と子規の交流を示す資料となっている。
中には漱石が松山中学で教師をしていた時代のものもあり、日清戦争に記者として従軍後、喀血して神戸の病院に入院していた子規に向けて送った自作の漢詩からは、二人の親交の深さがうかがえる。
未発表の書簡は、東京高等師範学校の学生・荒木秀一氏に宛てたもの。明治42年(1909年)12月10日付となっていて、「漱石山房」の原稿用紙3枚に墨で書かれ、封筒も残っている。
荒木氏は当時、師範学校の「英語会」で漱石をテーマに演説していて、今回の書簡は、荒木氏が漱石に送った英文原稿に返信した内容となっている。
書簡には「あなたが私の作物から一種の感化を受けてそれがあなたの処世上もしくは思想上に役に立っているのなら甚だ嬉しいと思う」と書かれ、文末には「私の出来る事なら何でも遠慮なく云って御寄こしなさい」とあり、面識のない学生に対する温かい言葉が印象的で、漱石の人柄が偲ばれる。
今日1日、岩波書店から発行された「図書」12月号では、早稲田大学文学学術院の中島国彦教授が書簡の全文を翻刻したものを掲載。また、平成27年1月10日(土)から、今回寄託された資料5点を、新宿歴史博物館(三栄町22)で公開する(2月中旬まで)。
新宿区は、国民的文豪・夏目漱石(1867年~1916年)が生まれ育ち、その生涯を閉じたまち。区では、漱石が晩年を過ごした「漱石山房」の土地の記憶を未来に継承していこうと、漱石の生誕150周年に当たる平成29年(2017年)2月の開館を目指し、(仮称)「漱石山房」記念館の整備を進めている。
寄託者の女性は、「今回寄託した書簡を記念館で保管・活用し、漱石の心を未来に伝える一助となってほしい」と話している。
4通のはがきは、明治24年(1891年)7月~明治29年(1896年)1月に出され、漱石が帝国大学在学中、子規から送られた漢詩に同じく漢詩で応えたものなど、若き日の漱石と子規の交流を示す資料となっている。
中には漱石が松山中学で教師をしていた時代のものもあり、日清戦争に記者として従軍後、喀血して神戸の病院に入院していた子規に向けて送った自作の漢詩からは、二人の親交の深さがうかがえる。
未発表の書簡は、東京高等師範学校の学生・荒木秀一氏に宛てたもの。明治42年(1909年)12月10日付となっていて、「漱石山房」の原稿用紙3枚に墨で書かれ、封筒も残っている。
荒木氏は当時、師範学校の「英語会」で漱石をテーマに演説していて、今回の書簡は、荒木氏が漱石に送った英文原稿に返信した内容となっている。
書簡には「あなたが私の作物から一種の感化を受けてそれがあなたの処世上もしくは思想上に役に立っているのなら甚だ嬉しいと思う」と書かれ、文末には「私の出来る事なら何でも遠慮なく云って御寄こしなさい」とあり、面識のない学生に対する温かい言葉が印象的で、漱石の人柄が偲ばれる。
今日1日、岩波書店から発行された「図書」12月号では、早稲田大学文学学術院の中島国彦教授が書簡の全文を翻刻したものを掲載。また、平成27年1月10日(土)から、今回寄託された資料5点を、新宿歴史博物館(三栄町22)で公開する(2月中旬まで)。
新宿区は、国民的文豪・夏目漱石(1867年~1916年)が生まれ育ち、その生涯を閉じたまち。区では、漱石が晩年を過ごした「漱石山房」の土地の記憶を未来に継承していこうと、漱石の生誕150周年に当たる平成29年(2017年)2月の開館を目指し、(仮称)「漱石山房」記念館の整備を進めている。
寄託者の女性は、「今回寄託した書簡を記念館で保管・活用し、漱石の心を未来に伝える一助となってほしい」と話している。
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新宿区 文化観光産業部-文化観光課
文化資源係 電話03-5273-3563
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