地域の歴史や文化を未来につなぐ 新たな文化財12件を決定

最終更新日:2014年5月1日

画像:下村湖人(小金井市文化財センター蔵)下村湖人(小金井市文化財センター蔵)
画像:會津八一(會津八一記念博物館蔵)會津八一(會津八一記念博物館蔵)

新宿区(区長:中山弘子)は、新たに4件を区指定文化財に指定した。また、2件を登録文化財に登録、6件を地域文化財に認定した。

区では、区内の文化財のうち特に重要なものを「指定文化財」として、保存する必要があるものを「登録文化財」として保護、活用している。また、平成23年4月に23区で初めて「地域文化財」制度を設け、地域で継承されている身近な「もの」や「場所」を次の世代に伝えていく取組みを進めている。

指定文化財、登録文化財は、主に江戸時代~戦前を対象にしているが、地域文化財は対象を戦後や高度経済成長期など近現代にまで拡大。地域からも広く情報を寄せていただき、「都市・産業」「文化・芸術」「歴史」「平和」「生活」「自然」の6つの分野で、まちの歴史や文化を物語る「もの」や「場所」を認定している。
今回の決定で区の指定文化財は112件、登録文化財は41件、地域文化財は29件となった。

 

  • 新たに指定した区指定文化財  4件

【有形文化財/古文書】中井御霊神社文書(中井2-29-16)
中井御霊神社に伝わる197件の古文書で、年代は寛延2年(1749年)から昭和18年(1943年)にわたる。神社の祭礼や境内・社殿の変遷、地域との関わり等が分かる史料である(史料保存の観点から非公開)。

【有形文化財/古文書】長厳寺文書(市谷薬王寺町25)
長厳寺に伝わる120件の古文書で、年代は寛文8年(1668年)から昭和16年(1941年)にわたる。寺の歴史や境内に関する史料のほか、江戸時代に市谷南寺町(現在の市谷薬王寺町周辺)にあった寺院組合に関する史料も含まれている(史料保存の観点から非公開)。

【史跡】下村湖人終焉の地(百人町2-7-16)
『次郎物語』の著者として知られる小説家・社会教育家の下村湖人(1884年~1955年)が、昭和30年(1955年)4月20日に亡くなるまで、約24年間暮らした場所。社会教育活動に従事しながら、この地で『次郎物語』全5部を完成させた。

【史跡】落合秋艸堂跡(會津八一旧居跡、中落合2-14)
歌人・書人・美術史家として知られる會津八一(1881年~1956年)が、昭和10年(1935年)7月に近くの「目白文化村」へ転居するまで、約13年間暮らした場所。早稲田大学図書館初代館長の市島春城の別荘だったこの家には、鶴田吾郎、織田一麿、吉野秀雄ら画家や歌人が集い、交流を深めた。
 

  • 新たに登録した区登録文化財2件

【有形文化財/工芸品】圓照寺の梵鐘(北新宿3-23-2)
寛政2年(1790年)に鋳造された高さ124㎝、口径68㎝の銅造の梵鐘(釣鐘)。江戸時代後期の鋳物師・西村政時の作で、梵鐘に刻まれた銘文からはこの鐘が造られた経緯が分かる。

【有形文化財/工芸品】薬王院の梵鐘(下落合4-8-2)
寛政2年(1790年)に鋳造された高さ116.5㎝、口径64㎝の銅造の梵鐘(釣鐘)。江戸時代後期の鋳物師・西村政平の作で、銘文からはこの鐘が造られた経緯だけでなく、寄付をした人名、薬王院の歴史などが分かる(通常は非公開)。
 

  • 新たに認定した地域文化財6件

【文化・芸術分野、歴史分野】白糸塚(新宿2-15-18、成覚寺)
嘉永5年(1852年)、鈴木主水と内藤新宿橋本屋の遊女白糸との情死話を基にした芝居が大成功したお礼として、歌舞伎役者・二代目坂東秀花が成覚寺に参詣した際に建てた慰霊碑。

【文化・芸術分野、都市・産業分野】渡辺玉花旧居(中落合3-18-8)
川合玉堂門下の日本画家・渡辺玉花(1901年~1996年)が、大正14年(1925年)から平成8年(1996年)7月に亡くなるまで暮らし、創作した場所。後に2階を増築した建物は、現存する数少ない「目白文化村」の建築物として貴重である。

【歴史分野】獅子吼会の山門(中井2-14-1)
昭和4年(1929年)~10年(1935年)ころに建設された、薬医門形式の山門。江戸時代にはない独特の手法と豊かな彫刻的表現が見られ、建設には関東・東北から多くの大工や石工が参加したと伝えられている。

【歴史分野】田島森碑(早稲田鶴巻町568、元赤城神社)
昭和6年(1931年)に建てられた記念碑。「田島の森」と呼ばれたこの地に正安2年(1300年)、上野国(現在の群馬県)赤城山麓から大胡氏(後の牛込氏)が移住し、故郷の赤城明神を祭ったという、中世の牛込地域や赤城神社の歴史が記されている。

【平和分野】忠魂碑(新宿5-17-3、花園神社)
昭和3年(1928年)に再建された慰霊碑で、日露戦争で内藤新宿町から出征した方の名前が記されている。出征していく兵士や家族の心情、絆を物語る文化財である。

【平和分野】祭馬碑(市谷左内町11、長泰寺)
大正11年(1922年)に陸軍士官学校馬術教官部の教官と馬丁が、飼育していた軍馬の供養のために建てた慰霊碑。土中にはたてがみを埋めたと伝えられ、戦前は陸軍の施設が多かった新宿の歴史を示す文化財である。

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