新宿区の指定・登録文化財と地域文化財

最終更新日:2019年6月18日

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 新宿区は、古くから歴史的環境に恵まれ、地域の歴史や文化を伝える多くの文化財が伝えられています。
 新宿区では、これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和58年に「文化財保護条例」を制定し、区内の文化財で特に貴重なもの、保存する必要のあるものを区指定文化財・区登録文化財として保護するとともに、ガイドブックや地図での紹介、説明板の設置、一般公開の実施など、周知や活用をはかっています。
 また、平成23年4月からは新たに「地域文化財」制度を創設し、明治時代から高度経済成長期に至る近現代の文化財を中心に、保護と活用に努めています。

区指定・登録文化財と地域文化財の紹介

新たに指定・登録された文化財

令和元年6月3日付で指定文化財が2件、登録文化財が1件、決定しました。

指定有形文化財(歴史資料)「幸国寺の日蓮聖人六百遠忌報恩塔」

「幸国寺の日蓮聖人六百遠忌報恩塔」幸国寺の日蓮聖人六百遠忌報恩塔
 新宿区原町二丁目20
 幸国寺の日蓮聖人六百遠忌報恩塔は、江戸で呉服師・伊勢屋八兵衛を営んだ加太一族と、伊勢屋各店により、明治5年(1872)正月に建てられました。発願者は七代目伊勢屋八兵衛の娘である浄心院(岡本お鉚)です。
 加太氏は、諸侯に金の用達を行った呉服師で、幕末には横浜に出店し、絹製品の取引や、軍艦・武器を調達しました。
 本塔は、高さ532cmの区内最大の報恩塔で、釈迦説法の場に現出した「証前起後」の宝塔の故事などを踏まえた造形となっています。また、台座四面のうち三面には唐獅子像が、背面にはライオン像が彫刻されており、ライオン像の上部に英文で「THIS LION IS GRAVED BY THE RIGHT FIGURE」(このライオン像は、正確な姿に基づいて彫刻した)と刻まれています。
 明治14年(1881)の日蓮聖人六百遠忌に9年も先立ち、建てられた背景には、明治3年(1870)に没した七代目伊勢屋八兵衛の三回忌と、まだ幼い八代目当主のもとで伊勢屋各店の結束を図ったことがあると推定されます。
 なお、塔に附属する香炉は、七代目誠之と交流のあった商人や、趣旨に賛同した檀信徒らの寄付によるものです。
 貿易に携わった幕末期の江戸の商人一族の信仰や交流の有様をうかがい知ることができる貴重な歴史資料で、英語による銘文・ライオン像の彫刻など、明治初期の文明開化の気風を強く反映した、稀有な石造物です。

指定史跡「鏑木清方旧居跡」

 新宿区矢来町38番地3
 日本画家・鏑木清方(1878~1972)が、大正15年(1926)9月から昭和19年(1944)まで暮らした、通称「夜蕾亭」の跡です。
 清方は、本名を健一といい、明治11年(1878)に、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の創設者である條野採菊を父として、東京神田に生まれました。13歳の時に、浮世絵の流れを汲む水野年方へ弟子入りし、17歳の時にはじめて新聞に挿絵が掲載されて以降、新聞や雑誌を舞台に、美人画を得意とする画家として地位を固めていきました。
 矢来町の家は、大正15年(1926)9月より賃借し、のちに購入してはじめての持ち家となりました。昭和7年(1932)には、懇意の建築家、吉田五十八へ依頼し、応接間や玄関を改築しています。
 清方はこの家で、代表作となる「築地明石町」(昭和2年、帝国美術院賞受賞)のほか、重要文化財「三遊亭圓朝像」(昭和5年)や、「一葉」(昭和10年)など絵画史に名を残す名作を多く制作しました。
 清方が矢来町に居住した大正15年(1926)から昭和19年(1944)にかけての18年間は、画壇の第一人者として確固たる地位を築き、官展を含む諸々の展覧会で審査員をつとめ、展覧会運営の立場からも深く美術界の動向に関与した時期です。近代日本画家を代表する鏑木清方が、その成熟期を過ごした地であり、近代絵画史上重要な史跡です。



 

登録有形民俗文化財「幸国寺の題目塔」

「幸国寺の題目塔」幸国寺の題目塔
 新宿区原町二丁目20
 幸国寺山の門前に建つ題目塔は、寛政4年(1792)8月に建立された高さ400㎝を超える、区内最大の題目塔です。
 題目塔とは「妙法蓮華経」もしくは「南無妙法蓮華経」と刻んだ石塔で、妙法蓮華経の経題(題目)に釈迦の説法の功徳が集約されていると説く日蓮宗の信仰に基づいて建てられた石塔です。
 幸国寺の題目塔は、正面に「南無妙法蓮華経 法界万霊」、向かって右側に「奉唱満妙題一千部」、左側に「奉読誦妙経題一百部」と刻まれていることから、万霊のための供養塔であること、施主が連続して一千回「南無妙法蓮華経」と唱える唱題行と、百部の法華経読誦を達成したことが変わります。
 なお、施主の曽根氏についての詳しい来歴は不明です。

新たに認定された地域文化財

平成31年度3月15日付、令和元年5月27日付で、地域文化財が2件、決定しました。

「文学座アトリエ」

「文学座アトリエ」文学座アトリエ
 信濃町10番地
 文学座は昭和12年(1937)に岸田國士らによって創設された劇団です。
 アトリエと呼ばれる劇場兼稽古場は、昭和25年(1950)に竣工したチューダー様式の建物で、伊藤義次によって設計されました。
 ここで昭和を代表する役者である杉村春子、芥川比呂志、加藤治子らが、稽古に励み、本番に臨みました。
 アトリエは竣工以来数度の増改築が行われていますが、建物の骨格となる柱、梁、小屋組などは当初の概形を保持しています。増改築の度の設計図面のほか、設計者による建物の装飾、特注の調度品の図面等が豊富に残されています。

「新宿園跡」

「新宿園跡」(『建築写真類聚』(国立国会図書館デジタルアーカイブ)
 新宿五丁目9番2号 きらぼし銀行新宿本店営業部付近
 新宿園は大正13年(1924)9月に、番衆町35番地(現在の新宿5丁目5・6・8・9・10)に開園した遊園地です。開園以前は米相場師である浜野茂が屋敷を構えていましたが、関東大震災後に箱根土地株式会社が邸宅部分を除く一万坪を買収し、庭園を生かした遊園地を開設しました。
 開園当初は池や築山などの庭園の造形が見どころでしたが、大正13年12月に白鳥座(劇場)、孔雀座(映画館)が、翌1月には鴎座(演舞場)が園内に開館し、水谷八重子ら芸術座のスター俳優らが出演しました。児童文学作家の鈴木三重吉の指導のもと、児童劇団を結成する計画などもありましたが、経営難のため大正15年(1926)5月に閉園しました。
 閉園後は住宅地として分譲され、現在も新宿園町名という町会名にその名を残しています。

本ページに関するお問い合わせ

新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500

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