新宿区の指定・登録文化財と地域文化財
最終更新日:2024年7月29日
ページID:000008797
文化財愛護シンボルマーク
新宿区は、古くから歴史的環境に恵まれ、地域の歴史や文化を伝える多くの文化財が伝えられています。
新宿区では、これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和58年に「文化財保護条例」を制定し、区内の文化財で特に貴重なもの、保存する必要のあるものを区指定文化財・区登録文化財として保護するとともに、ガイドブックや地図での紹介、説明板の設置、一般公開の実施など、周知や活用をはかっています。
また、平成23年4月からは新たに「地域文化財」制度を創設し、明治時代から高度経済成長期に至る近現代の文化財を中心に、保護と活用に努めています。
新宿区では、これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和58年に「文化財保護条例」を制定し、区内の文化財で特に貴重なもの、保存する必要のあるものを区指定文化財・区登録文化財として保護するとともに、ガイドブックや地図での紹介、説明板の設置、一般公開の実施など、周知や活用をはかっています。
また、平成23年4月からは新たに「地域文化財」制度を創設し、明治時代から高度経済成長期に至る近現代の文化財を中心に、保護と活用に努めています。
新宿区指定・登録文化財と地域文化財の紹介
- 新宿歴史博物館「所蔵資料検索」(新規ウィンドウ表示)新宿歴史博物館の主な所蔵資料が検索できます。
- 新宿区指定・登録文化財一覧 [PDF形式:307KB] (新規ウィンドウ表示)新宿区指定・登録文化財の一覧をご覧いただけます。
- 新宿区地域文化財一覧 [PDF形式:1.5MB] (新規ウィンドウ表示)新宿区地域文化財の一覧をご覧いただけます。
新たに指定された文化財
令和6年7月5日付で指定文化財が2件決定しました。
指定有形文化財( 絵画)「太宗寺の無量寿経曼荼羅・阿弥陀経曼荼羅」
太宗寺の無量寿経曼荼羅・阿弥陀経曼荼羅
種 別:新宿区指定有形文化財(絵画)(指定第133号)
所在地:新宿区新宿二丁目9番2号(太宗寺)
浄土宗太宗寺に伝来する無量寿経曼荼羅と阿弥陀経曼荼羅、二幅一対の曼荼羅です。
太宗寺には平成2年6月に区指定有形文化財の指定を受けた観無量寿経曼荼羅(大曼荼羅)があり、今回指定された二幅を加えると浄土三部経に基づく曼荼羅の全体像がうかがえる構成となっています。
署名・落款はありませんが、作風から、江戸時代前期に主に浄土宗の寺院の絵画制作を行っていた画僧・古磵(こかん)(1653~1717)の筆と推定されます。二幅とも本尊の顔などに修復の痕跡が確認できますが、それ以外は概ね当初の図様を残しているとみられます。
経典内容をいきいきとした描写でわかりやすく絵画化した曼荼羅で、僧侶として経典の内容を深く理解していた古磵が、当麻曼荼羅や地獄絵などを参考に新図様を創出したと考えられています。
すでに区指定有形文化財となっている観無量寿経曼荼羅とともに浄土三部経に基づく曼荼羅を構成するものであり、十王図や閻魔大王像の開帳など、同寺における浄土宗教義の民衆への普及に重要な役割を果たした文化財であると考えられます。
近世仏教絵画史上及び近世仏教史上、重要な文化財です。
[1] 無量寿経曼荼羅
『無量寿経』に説かれた極楽浄土に往生する方法を曼荼羅に表したものです。上下左右にほぼ時計回りに経典の内容が図像化され、各場面の名称や註記が墨書されています。総寸法:縦262.0×横224.5㎝
[2] 阿弥陀経曼荼羅
『阿弥陀経』に説かれた極楽浄土に往生する方法を曼荼羅に表したものです。左右と下部には経典の内容が図像化され、各場面の名称や註記が墨書されています。総寸法:縦262.0×横225.2㎝
※通常非公開。毎年7月15・16日頃に公開されています。
平成2年6月指定 有形文化財(絵画)「太宗寺の観無量寿経曼荼羅」は、こちらでご紹介しています。
https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/shosai3/?id=A041
(新宿文化観光資源案内サイト「温故知しん!じゅく散歩」)
所在地:新宿区新宿二丁目9番2号(太宗寺)
浄土宗太宗寺に伝来する無量寿経曼荼羅と阿弥陀経曼荼羅、二幅一対の曼荼羅です。
太宗寺には平成2年6月に区指定有形文化財の指定を受けた観無量寿経曼荼羅(大曼荼羅)があり、今回指定された二幅を加えると浄土三部経に基づく曼荼羅の全体像がうかがえる構成となっています。
署名・落款はありませんが、作風から、江戸時代前期に主に浄土宗の寺院の絵画制作を行っていた画僧・古磵(こかん)(1653~1717)の筆と推定されます。二幅とも本尊の顔などに修復の痕跡が確認できますが、それ以外は概ね当初の図様を残しているとみられます。
経典内容をいきいきとした描写でわかりやすく絵画化した曼荼羅で、僧侶として経典の内容を深く理解していた古磵が、当麻曼荼羅や地獄絵などを参考に新図様を創出したと考えられています。
すでに区指定有形文化財となっている観無量寿経曼荼羅とともに浄土三部経に基づく曼荼羅を構成するものであり、十王図や閻魔大王像の開帳など、同寺における浄土宗教義の民衆への普及に重要な役割を果たした文化財であると考えられます。
近世仏教絵画史上及び近世仏教史上、重要な文化財です。
[1] 無量寿経曼荼羅
『無量寿経』に説かれた極楽浄土に往生する方法を曼荼羅に表したものです。上下左右にほぼ時計回りに経典の内容が図像化され、各場面の名称や註記が墨書されています。総寸法:縦262.0×横224.5㎝
[2] 阿弥陀経曼荼羅
『阿弥陀経』に説かれた極楽浄土に往生する方法を曼荼羅に表したものです。左右と下部には経典の内容が図像化され、各場面の名称や註記が墨書されています。総寸法:縦262.0×横225.2㎝
※通常非公開。毎年7月15・16日頃に公開されています。
平成2年6月指定 有形文化財(絵画)「太宗寺の観無量寿経曼荼羅」は、こちらでご紹介しています。
https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/shosai3/?id=A041
(新宿文化観光資源案内サイト「温故知しん!じゅく散歩」)
指定史跡「藤田嗣治(レオナール・フジタ)旧居跡」
現在の「藤田嗣治(レオナール・フジタ)旧居跡」
種 別:新宿区指定史跡(指定第134号)
所在地:新宿区高田馬場四丁目22番7号(須田外科クリニック)
画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)(1886~1968)が、昭和8年(1933)から昭和11年(1936)まで暮らしたアトリエ付住居の跡です。
フジタは、明治19年(1886)11月27日、東京府牛込区新小川町に陸軍軍医であった父・藤田嗣章と母・政の次男として生まれ、中学生の頃より画家を志します。
大正2年(1913)単身でフランスに渡り、着実にキャリアを積み上げたフジタは、同8年(1919)にサロン・ドートンヌの会員に選出され、エコール・ド・パリで活躍する画家として国際的な評価を確立しました。
今回史跡に指定された地にあったフジタの家は、昭和8年(1933)中南米の旅から帰国後、次姉・やすの夫で陸軍軍医総監を務めた中村緑野邸に仮寓した後に、同敷地内に新築したスパニッシュ・コロニアル様式のアトリエ付住居で、約3年間の居住中、制作の拠点として壁画等の大作に取り組んだ場所です。
フジタは、パリで最先端の西洋絵画を学ぶ一方、日本画の技法を研究して取り入れ、特に陶器のような透明感のある肌質の表現は高く評価されました。時代ごとにアトリエ付住居に移り住み、「生活の延長、生活が流れ込んだ画室」を大切にし、好みの品々で満たされた空間は、たびたびフジタの絵画に登場し、重要な役割を果たしています。
フジタの画業の多くはパリを中心としたヨーロッパで成されましたが、この地は国内在住時に営まれた数少ない創作の拠点であり、関連する作品等からアトリエの様子もわかるなど、当時のフジタの暮らしや活動を知る上で大変重要な場所といえます。
近代絵画史上、また人間フジタの生き方をうかがわせる、重要な史跡です。
※当時の遺構はありません。
※クリニック利用者以外の立ち入りはできません。
所在地:新宿区高田馬場四丁目22番7号(須田外科クリニック)
画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)(1886~1968)が、昭和8年(1933)から昭和11年(1936)まで暮らしたアトリエ付住居の跡です。
フジタは、明治19年(1886)11月27日、東京府牛込区新小川町に陸軍軍医であった父・藤田嗣章と母・政の次男として生まれ、中学生の頃より画家を志します。
大正2年(1913)単身でフランスに渡り、着実にキャリアを積み上げたフジタは、同8年(1919)にサロン・ドートンヌの会員に選出され、エコール・ド・パリで活躍する画家として国際的な評価を確立しました。
今回史跡に指定された地にあったフジタの家は、昭和8年(1933)中南米の旅から帰国後、次姉・やすの夫で陸軍軍医総監を務めた中村緑野邸に仮寓した後に、同敷地内に新築したスパニッシュ・コロニアル様式のアトリエ付住居で、約3年間の居住中、制作の拠点として壁画等の大作に取り組んだ場所です。
フジタは、パリで最先端の西洋絵画を学ぶ一方、日本画の技法を研究して取り入れ、特に陶器のような透明感のある肌質の表現は高く評価されました。時代ごとにアトリエ付住居に移り住み、「生活の延長、生活が流れ込んだ画室」を大切にし、好みの品々で満たされた空間は、たびたびフジタの絵画に登場し、重要な役割を果たしています。
フジタの画業の多くはパリを中心としたヨーロッパで成されましたが、この地は国内在住時に営まれた数少ない創作の拠点であり、関連する作品等からアトリエの様子もわかるなど、当時のフジタの暮らしや活動を知る上で大変重要な場所といえます。
近代絵画史上、また人間フジタの生き方をうかがわせる、重要な史跡です。
※当時の遺構はありません。
※クリニック利用者以外の立ち入りはできません。
本ページに関するお問い合わせ
新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500
本ページに関するご意見をお聞かせください
区政についてのご意見・ご質問は、ご意見フォームへ。