新宿区の指定・登録文化財と地域文化財

最終更新日:2026年5月1日

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シンボルマーク文化財愛護シンボルマーク
 新宿区は、古くから歴史的環境に恵まれ、地域の歴史や文化を伝える多くの文化財が伝えられています。
 新宿区では、これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和58年に「文化財保護条例」を制定し、区内の文化財で特に貴重なもの、保存する必要のあるものを区指定文化財・区登録文化財として保護するとともに、ガイドブックや地図での紹介、説明板の設置、一般公開の実施など、周知や活用をはかっています。
 また、平成23年4月からは新たに「地域文化財」制度を創設し、明治時代から高度経済成長期に至る近現代の文化財を中心に、保護と活用に努めています。

新たな新宿区指定文化財

令和8年5月1日付で新宿区指定文化財が3件決定、指定されました。
 

新宿区指定史跡「川合玉堂旧居跡」

種 別:新宿区指定史跡(指定第137号)
所在地:
新宿区若宮町29番地 若宮ハウス

 この地は、日本画家の川合玉堂が、明治36年(1903)から昭和19年(1944)まで41年間を過ごした旧居跡です。
 川合玉堂は本名を芳三郎といい、明治6年(1873)、現在の愛知県一宮市に生まれました。明治20年(1887)京都に出て、望月玉泉、後に幸野楳嶺の門に入りました。明治29年(1896)に上京して橋本雅邦に師事し、大正4年(1915)に東京美術学校教授に就任しました。
 上京後の玉堂は麹町に住んでいましたが、明治34年(1901)に牛込区若宮町に転居し、同36年12月に若宮町29番地に家を建てました。この家は建築家吉田五十八の設計によるもので、二つの画室を備えた広壮な邸宅は「牛込御殿」と呼ばれました。若宮町に暮らした玉堂は、個性的な線描と雲煙表現による情感あふれる作品を数多く描き、若宮時代と称される充実した日々を過ごしました。この時期に、《行く春》(重要文化財)など代表作の数々を世に送り出しました。
 昭和19年7月、玉堂は写生で頻繁に訪れていた現在の東京都青梅市に疎開し、翌年5月の空襲で若宮町の家は焼失しました。戦後は亡くなるまで青梅の地で暮らしました。
 明治・大正・昭和の三代にわたり活動し、日本画家として画壇をリードした川合玉堂の旧居跡は、近代絵画史上、そして地域の文化史上、重要な史跡です。

新宿区指定有形文化財(彫刻)「専行寺の木造阿弥陀如来立像」

種 別:新宿区指定有形文化財(彫刻)(指定第138号)
所在地:新宿区原町三丁目26番地 専行寺

 十三重の蓮華座上に来迎印を結んで直立する阿弥陀如来像で、真宗大谷派専行寺(せんぎょうじ)の本尊です。一木造り、檜材。総高108.9㎝、像高51.4㎝。令和3年から5年にかけて保存修理が行われました。その像容と作風から平安時代末から鎌倉時代初めの制作と推定され、新宿区内でこれまで確認された仏像としては、龍善寺の本尊・木造阿弥陀如来立像(区指定文化財)と並び最古級の像です。
 江戸時代初期に番町に創建した専行寺は、享保2年(1717)に類焼後、牛込原町に移転しましたが、その後安政6年(1859)にも類焼しており、「専行寺縁起」には2度目の類焼で仏具・家財・宝物・過去帳・記録等を失ったとの記述があります。本像が専行寺創建時からの根本本尊であったのか、あるいは類焼によりあらたに迎えられたのかは、現在残されている記録等から判断することはできませんが、江戸の寺院に古仏が伝来し、守られてきたことは、今後の研究にも寄与する事例であり、本像は仏教史上、美術史上重要な作品です。
専行寺の木造阿弥陀如来立像
専行寺の木造阿弥陀如来立像(台座・光背あり)

新宿区指定有形文化財(絵画)「浄輪寺の花卉寄合描屏風」

種 別:新宿区指定有形文化財(絵画)(指定第139号)
所在地:新宿区弁天町95番地 浄輪寺

 日蓮宗浄輪寺(じょうりんじ)に伝来する二曲一隻の屏風です。外寸・縦158.3cm×横153.8cm。絵柄は草花や花木を描いた花卉(かき)図です。明治39年(1906)に、日本画家・荒木寛畝(かんぽ)の妻・みよの一周忌にその菩提を願って、寛畝、寛友、十畝など荒木家の親族8人と、寛畝の画塾「読画会」の門人27人の計35人が寄合(よりあい)描きを行い、浄輪寺に寄進しました。寛畝が蓮を中央上部に大きく配し、親族と門人達が四季の草花や花木を描き添えています。裏面には寄合描きに参加した人名が記されています。
 荒木寛畝(1831~1915)は、江戸に生まれ、狩野派と谷文晁の流れをくむ荒木寛快に師事、土佐藩の御用絵師をつとめました。明治以降は洋画も学びましたが、やがて日本画に専念して頭角を現し、東京美術学校教授、帝室技芸員を歴任しました。かつて浄輪寺には、荒木家の墓所があり、寛畝や弟子で婿養子の十畝の墓がありましたが、平成13年(2001)に多磨霊園に改葬されました。
 本作品は、寛畝の代表作《孔雀図》で知られるような花鳥画の濃密な彩色ではなく、故人を偲ぶ弔事にふさわしい、墨と淡彩を主とした潤いのある彩色で描かれています。確かな筆力と潤いのある淡彩が際立ち、寛畝が晩年に到達した画境を理解する上で重要な作品であり、寛畝の画業と一門の研究には欠かせない作品です。文化史上、絵画史上、重要な作品です。
浄輪寺の花卉寄合描屏風
浄輪寺の花卉寄合描屏風(裏面)

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新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500

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