新宿のみどりの移り変わり(明治~令和)
最終更新日:2021年6月5日
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新宿区は、昔から今のように都会だったわけではありません。江戸時代は宿場町を中心に、ほとんどが農村だったといわれています。では、新宿区内のみどりは令和の現在までにどのように変わってきたのでしょうか?「緑地分布図」から新宿のみどりの移り変わりを見てみましょう!
明治13年

山手線も中央線も走っていない時代です。四谷、飯田橋周辺以外はほとんど森か沼(湿地帯)でした。特に現在の落合地域はほとんどみどりに覆われていることが分かります。
明治42年

30年でだいぶ市街化されてきました。山手線や中央線も開通して、現在の新宿駅周辺も開発が進んでいることがうかがえます。
しかしまだまだ落合地域にはみどりが多く残っています。
しかしまだまだ落合地域にはみどりが多く残っています。
大正10年

今から80年以上も昔ですが、区の東側はほぼ現在の状況に近くなっています。新宿御苑や戸山公園、神宮外苑など大きな公園が区の東側での緑地を形成しています。
落合地域も市街化が始まっていることがうかがえます。
落合地域も市街化が始まっていることがうかがえます。
令和2年

昭和、平成、令和に入ると、明治、大正時代に比べ、みどり色の部分はほとんどなくなってしまい、ところどころにある大きな公園のみどりや民間で所有している樹木等による小規模なみどりが残っています。特に新宿御苑、戸山公園、新宿中央公園はその中心となっています。
<参考文献>新宿区史-区成立50周年記念-