※幕府直轄の施設用地。火除地や河岸などの他、同役の御家人に一括して与えられた組屋敷地も含む。【凡例】公儀※武家地寺社地町人地百姓地緑地水面道地域の概要四谷地域の地形まちの記憶や文化江戸時代末期の土地利用緑被現況分布図1 四谷地域中央を貫く尾根道新宿通りは、四ツ谷駅から新宿駅をつなぐ新宿区の骨格となる尾根道です。現在は、業務・商業機能の中心として、賑わいがあふれ風格ある通りとなっています。台地に入り組む谷地四谷地域は、台地に細長い谷地が入り組んだ複雑な地形が特徴で坂道や階段など起伏に富んだ景観を形成しています。南側に入り組む谷地によって削り取られた台地の際には江戸時代に移転してきた寺社が集積しています。新宿通りから靖国通りへ向かう斜面地上には住宅地が広がっています。内藤新宿から続く賑わいの歴史元禄12(1699)年に開設した内藤新宿は、旅籠屋や茶屋などのある遊興の地として栄えていました。新宿通り周辺の賑わいは、当時から受け継がれてきたものです。太平洋戦争で一面焼け野原となったものの、戦災復興を経て現在も日本有数の繁華街として賑わい続けています。花街の面影荒木町の一帯には、江戸時代には松平摂津守の屋敷があり、玉川上水を引き込んだ池が造られていました。明治時代以降は、その周囲に茶屋や料亭が建ち並び、花街として賑わいました。現在も往時の雰囲気を今に伝える料亭が残っています。屋敷町のなごり大京町・信濃町は江戸時代に武家地だったことから、大きな敷地割が現在でも受け継がれています。また、花園神社の東側では武家屋敷と組屋敷の基盤の統合化・細分化が進み、住商業務が混在した市街地となっています。地形に沿ったみどり台地の南側には谷地が入り組んでおり、若葉・須賀町・南元町周辺では崖地が見られます。この崖地沿いには緑地が連続し、谷地と台地をつなぐ貴重なみどりのストックとなっています。豊かなみどりと水の記憶地域内には、新宿御苑と神宮外苑、外濠のみどりが連続性をもって広がっています。また、かつて内藤家屋敷(現新宿御苑)を流れていた玉川上水は現在、分水として散歩道を形成しています。外堀の水は一部が保全され、貴重な旧水路となっています。エリア別景観形成ガイドライン 1 四谷地域【1-4 四谷新宿通りエリア】四谷地域の中心を貫く尾根道斜面に沿って広がるまちなみ花街の風情を今に伝えるまちなみ【1-5 若葉・須賀町エリア】台地と谷地が密接に結びついている【1-10 新宿御苑・内藤町エリア】御苑からみどりがあふれ出している【1-2 四谷北エリア】【1-9 内藤新宿エリア】現在でも商業で賑わう【1-3 荒木町エリア】新宿駅新宿駅靖国通り靖国通り内籐新宿内籐新宿信濃高遠藩信濃高遠藩内藤家下屋敷内藤家下屋敷新宿御苑新宿御苑新宿御苑内籐町内藤町内藤町明治神宮外苑明治神宮外苑明治神宮外苑30m30m新宿通り新宿通り30m25m30m25m四ツ谷駅四ツ谷駅四谷台地四谷台地松平摂津守屋敷松平摂津守屋敷(荒木町)(荒木町)須賀町須賀町須賀町若葉若葉若葉変化に富んだ地形水とみどり
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