【凡例】公儀※武家地寺社地町人地百姓地緑地水面道四谷台地※幕府直轄の施設用地。火除地や河岸などの他、同役の御家人に一括して与えられた組屋敷地も含む。箪笥地域の地形まちの記憶や文化地域の概要2 箪笥地域ある印刷製本業が集積しています。また、この低地と台地の境界に赤城神社や筑土八幡神社が位置しています。2つの台地からなっています。両台地の東側には外濠があり、斜面地となっています。また、2つの台地の間に長延寺谷が入り組んでいます。す。神田川は目白通りの外周を通り、また、コンクリート三面張りの巨大なU字溝となっています。外濠には江戸の景観が残っています。赤城神社や筑土八幡神社などの寺社のみどりや手入れされた住宅街のみどりが残っています。また、外濠の豊かなみどりとともに、外濠沿いの斜面地には緑地が多く存在します。近年、開発に伴い、まとまったみどりが整備されました。神田川沿いの低地神田川沿いには低地が広がり、地場産業で2つの台地を隔てる谷地早稲田通り以南は、牛込台地と本村台地の江戸の街路網と武家地の開発現在の道路の大部分は、江戸末期に既に存在していました。また、若狭小浜藩酒井家の下屋敷があった場所は開発され、現在の矢来町となりました。また、尾張徳川家の上屋敷であった場所は、明治時代には陸軍士官学校が置かれ、現在は防衛省となっています。神楽坂の寺町と花街神楽坂の西側は、江戸末期に寺院が集積した寺町でした。現在でも横寺町という地名とともに、寺院が残っています。一方、神楽坂の東側は、明治時代以降に善国寺の毘沙門天への参拝者たちで賑わった場所です。明治時代末~大正時代には文学・演劇界の著名人が盛んに活動を行うなど、花街としても発展し、現在の路地や横丁の風情が生み出されました。神田川と外濠の水辺空間神田川と外濠が地域の北側と東側にありま豊かな寺社のみどりと斜面緑地地域内には大規模な公園はありませんが、エリア別景観形成ガイドライン 2 箪笥地域低地に広がる整ったまちなみ【2-7市谷本村台地エリア】大名屋敷の宅地開発でできた住宅地【2-4 神楽坂(路地・横丁)エリア】和の設えが印象的な神楽坂の路地貴重な緑地・水辺空間としての外濠【2-3 神楽坂(神社・寺町)エリア】【2-1 五軒町エリア】台地に入り込む長延寺坂【2-5 牛込台地エリア】【2-6 外濠斜面地エリア】台地際の寺社のみどり靖国通り若狭小浜藩酒井家下屋敷若狭小浜藩酒井家下屋敷若狭小浜藩酒井家下屋敷(現矢来町)(現矢来町)(現矢来町)尾張徳川藩上屋敷尾張徳川藩上屋敷尾張徳川藩上屋敷(現防衛省)(現防衛省)(現防衛省)新宿御苑内籐町明治神宮外苑牛込台地牛込台地長延寺谷長延寺谷本村台地本村台地江戸時代末期の土地利用緑被現況分布図神田川神田川筑土八幡神社筑土八幡神社赤城神社赤城神社新宿通り外濠外濠神田川神田川筑土八幡神社筑土八幡神社赤城神社赤城神社外濠外濠神楽坂神楽坂神楽坂毘沙門天毘沙門天毘沙門天若葉須賀町変化に富んだ地形水とみどり
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