区の歴史
【淀橋】
成子村と中野村の間を流れる神田川にかかっている橋を餘戸、あるいは四所橋と呼び、これから転じたものか、また、寛永年間3代将軍家光が橋のそばで休息したおり、川の流れがよどんで見えるから淀橋にせよといったとか、さらに亨保年間8代将軍吉宗が山城国(現在の京都)淀にその景色が似ているので名づけたとか、そのほかいろいろの説があり、いずれも橋の名からその地名が生まれたようです。
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